気遣い順繰り褒めスタイル(4/3のモジログ)
マジで眠い 今日は普通に忘れていました
モジを書いていきたいと思います。
小学生の頃の話ですが、その時の担任の先生なのか学校の方針なのかはわからないけど、当時はなんだかやたらに作文を書かされていた。
行事ごととか、読書感想文とか、授業でやった内容の感想文とか。
で、大人になっても毎日頼まれてもないのにブログを書くぐらいだから私自身はそれが苦ではなく、むしろ楽しいと思っていた。授業受けずに作文書くだけでいいとか最高〜みたいな。
作文の授業があると張り切って長い枚数のを出していた。
その時先生は子供たちのやる気を出すためなのか、みんなが提出したあと出来がいい作品をいくつか読み上げて褒めてくれた。
それはなんとなく名誉なことで、読まれるのに選ばれたらうれしいという空気はクラス全体にあった気がする。
で、作文が得意だと思っている私はよく読まれるのかというと、全然そうでもなかった。自信だけはめちゃくちゃあったけど、どちらかというとあんまり読まれてなかった。
言い訳をすると、私が特別下手だったわけではない。このシステムでは公平にやる気を出させるため
、大体毎回違う子のを読むようにしていたように思う。逆に読まれてばかりの子の印象もない。
単に、体感的に30分の1(クラスメイト一周して一回)だとかなり少なく思ってたってだけなんじゃないかなと思ってる。おそらく概ね正しい。
つまり、あんまり上手くない子も気を使って読まれているタイミングがあるということだ。
でも、当時はそれがわかってなくて、毎回その時のベストが発表されているものだとばかり思っていた。
それなのに、『走るんめっちゃしんどかったけど楽しかったから運動会またやりたい!四組さいこお⭐︎』みたいなよくわからんのが「自分の気持ちが素直に表れていていいですね!」みたいに褒められていて全く納得がいっていなかった。
当時は「一生懸命書いた文章、あのギャルの変な文章より下手なのか」ってマジ落ち込みしたりした。
今改めて考えてみてどうだったのかな、と考えると、もしかすると先生から見た私がつまらなかったというのはありうるかもしれない。
大人から見るとギャルの文章のほうがかわいいだろう。「楽しかった」「好き」みたいなのを、口語体ではあるけど素直に伸び伸びと書いている。
それに比べて私のは、体裁を整えて褒められようとしているお利口そうなだけの文章だった。
お利口そうな中に何かを込められるような文章力も、そもそも感性もなかったし、センスもなかった。
たぶん見ていて一番つまらない子供だったんじゃないかな。
そう思うと、やっぱり私よりギャルの作文のほうがレベルが高い。全員のを順繰りに褒めるシステムに気を使われていたのは私のほうだった。
冷静に思い返すとアーーとなるのでやめよう。
異様に眠くなってきたのでもうやめます
おやすみなさい