神様は何も禁止なんかしてない(4/2のモジログ)
神様は何も禁止なんかしてない。
そう、そのへんのベンチで飯を食うことも禁じられてなんかいなかったんです。
こんばんは。今日も日記を書いていきます。
別に大げさな話ではなく、本当に最近そのへんに座って飯を食うようになりました、というだけの話です。
現実の世界にゲームみたいな見えない壁はないですが、「関係者入り口」って書いてあったら入らないし線路から飛び降りてみたりもしないし、ゲーム以上に見えないルールを守って生きてると思います。色々な意味で死んでしまうこともあるし。
でも、死なないところでもルールつくっていませんか? 私はつくっています。いろんなことを禁じていました。
ご飯も、食べる場所とかタイミングがないから食べないとかがザラにあった。特に朝食。でも、そのへんで食べててもいいんですよね。
公園のベンチとか、存在は知っていました。
とはいえ無料のサービスって怖くないですか?どこから何に怒られるかわからないから。
お金を払って注文して店にいる限りは「客」だから怒られない安心があって、今まではそっちを選んでいました。
一事が万事そんな人生。「ないストレス」を避けるためのコストを払い続けて消耗している。
そんな人生には別れを告げたい。そう思って最近公園とか行ってみてるんですけど、今の所怒られていないです。
そもそもみんな自分の人生に手一杯で、たかが数分もそもそ飯を食っているだけの人間に誰も気を留めていない。そんなものです。
いいですね、自分で思うより自由な世界に気がつくこと。今まで勝手に不自由に生きてきただけかもしれないけど。
趣味の散歩中も、今までは疲れたら疲れてるのに無理やり店に入って特に頼みたくないもの頼んで高くて嫌な気持ちになるか我慢して歩き続けるかの2択だったんですが、最近はそのへんに座って休むのを覚えました。
全然いい。真夏とかは厳しいかもしれないけど、今の季節はそのへんのほうがむしろいい。そのへん最高。
ただ、「毎日飯を食っている」という認知を外部から得るのは避けたいので食べる場所や時間はランダムに割り振っています。どこまでも風景でありたいから。
そんな感じです。
数日日記を書いてるのに「歩いていること」「食べていること」しか伝わらない(しかも何も具体性がない)の何なんだろうな。
ふんわり生きているからだと思います。
それでは、おやすみなさい。